松尾紗里さん

パリ・エコール・ノルマル音楽院スカラシップ過去受賞者リポート

松尾紗里さん

2009年スカラシップ受賞

ピアノ

留学する時期は人によって様々だ。松尾さんが京都フランス音楽アカデミー(以後アカデミー)を受講したのは、京都市立芸術大学ピアノ科に在籍していた3年生の春だった。最終学年を目前に控え、毎年アカデミーを受講していた友人や、新聞でアカデミーを知った母親から勧められたのがきっかけだったそう。クリスチャン・イヴァルディクラスを受講。「先生の音色に目が丸くなりました。自分の音と全く違ったのです。ものすごく素晴らしかった」。見事スカラシップを受賞したが、「留学するのは今じゃないと思い、辞退しました」。

ピアノを弾いていた4歳上の姉の影響で、生まれた時から音楽に親しみ、3歳で音楽教室に通い始めたが、ピアノを弾くことより作曲法や聴音、ソルフェージュなどの「表現すること」の方が楽しかったと言う。中学では陸上部に所属したり水泳を習ったりとスポーツにも励みつつ、高校は兵庫県の公立校で唯一「音楽科」のある県立西宮高校に進学してピアノを学び、「この先生に師事したい」という強い思いを抱いて、希望通りの大学に入学した。

ピアノの道を順調に進んできたように思えるが、「音楽教室で学んできた音楽的に表現する事や作曲が得意で、メカニカルな奏法の基礎を飛ばしてきたせいか、高校に入ってから小学生レベルの本当に初歩から手厳しくやり直されました」と、苦笑う。様々な学生が集う音大で、10代の頃から海外で研鑽を積んだ学生などにも出会ったが、自分は日本でもっと細かいニュアンスを習得する必要がある、時間と努力があればメカニカルなものはきっと会得出来ると信じて練習に励んできた。留学のチャンスは嬉しかったが、松尾さんが選んだのは大学院に進学すること。「小さい頃から学んできた表現することと音高・音大で学んだ奏法が、大学院に入る頃やっと合致しました」。そして2012年に同大学院を卒業し、満を持してその年の8月にパリ・エコールノルマルに留学した。

渡仏1年目の感想を聞くと、「自分の演奏が下手で雑になったような気がしました」という答え。「日本では『ここはダメ、ああして』と、きっちり弾くことを求められ、まるで細い平均台を渡るような気持ちだったのが、フランスではどの先生からも『あれをしてはいけない、これをしてはいけない』などと言われません。その代わり、『あなたの言葉で弾かないと意味がないじゃない』と、自分を表現することを求められます。フランス語でうまく答えられない分、ピアノで表現するしかなくて、曲を徹底的に調べ、より大げさに演奏するようになりました」。古典もバロックも今まで自分が思っていた以上に自由に演奏することが許された。「でも、表現しようとするだけだと見破られます。そこに意思がはっきりしないと納得してもらえない」。先生と意見の違いがあっても、ちゃんと意思を述べられるか、その人なりの考えがあるかどうかが鍵だという。「ペダルやテンポを揺らしてはいけないなどと言われてきっちり弾くより、人間性にあふれた演奏の方が受け入れられるのかもしれません」。

フランスでは学生でも人前で演奏する機会に溢れていると感じるそうだ。教会で演奏したことが2度あり、とても得難い体験だったそう。渡仏後すぐに挑戦したコンクールでは「聴衆賞」を受賞した。1位はフランス人、2位はロシア人と松尾さん。「1位の方は、演奏レベルより『私を見て!!』と訴えるオーラの方が印象的で、とても面白かったです! 逸脱していても魅力があればいいのかもしれません」と、声を弾ませる。

松尾さんは、日本で細かい技術や基礎を十分習得した後、より大きな「音楽的感覚」を身につける為に自分で時期をしっかり見極めてから留学した。エコール・ノルマルのクラスでは偶然にもアカデミー受講時に同じクラスメイトだった友人が2人もいて、とても心強かったと言う。「アカデミーのレッスンを受けた事がきっかけで素晴らしい先生や仲間に出会い、留学するという考えにも至りました。受講生仲間にも恵まれたけれど、通訳の方も素晴らしかった。奇跡に近い教授陣が集まり、他の楽器のレッスンも聴け、まるでプチ留学です」。日本にいつ帰るのかは「今まさに考えているところ」。エコール・ノルマルの卒業試験が無事に終わればパリのコンクールにも挑戦してみたいと、前へ前へと気持ちは進む。

夢は「いつか自分が作った曲をコンサートで演奏すること」。幼少の頃から培われていた「音のパレット」の豊かさが垣間見える。作曲も編曲も伴奏も楽しいと言う。2014年6月、フランス南部のカルカッソンヌとモンペリエで前述のコンクールの「報償コンサート」でソロ演奏することが決定。フランスの空の下、松尾さんのピアノの音が響き渡る。