2025年、第35回青山音楽賞「新人賞」を受賞したヴァイオリニスト・大本和司さん。ポーランドで開催されたタデウシュ・ヴロンスキ国際ソロヴァイオリンコンクール第5位をはじめ、数々のコンクールで成果を重ねてきました。しかし、実際にお話を伺ってみると、強く印象に残ったのは、その音楽への向き合い方。音楽の構造を宇宙の動きに重ね合わせたり、音色の違いを惑星になぞらえたりー。演奏技術についても、物理や数学の視点から考えることがあるという、「探求者」のような大本さんに、9回目となる京都フランス音楽アカデミーの受講や、長年師事するレジス・パスキエ氏から学んできたことについて伺いました。
「音楽は宇宙の構造に似ている」
―昨年のリサイタル「数列循環」というタイトルは印象的でした。もともと数学がお好きだったそうですね。
高校は普通科の理系クラスでした。物理や化学も勉強していましたし、数学も好きでした。だからかもしれませんが、音楽も感覚だけではなく、構造として考えることが好きです。
―構造、ですか?
音楽って宇宙の仕組みに似ていると思うんです。例えば月は地球の周りを回り、地球は太陽の周りを回っていますよね。さらに太陽も銀河の中で動いている。小さな関係が大きな関係の中にも繰り返し現れる。いわゆるフラクタル構造のようなものです。音楽も同じで、音と音の関係があり、フレーズとフレーズの関係があり、さらに作品全体の中にも同じような関係がある。以前は音と音だけを見ていたんですが、今はもっと大きな視点で作品を見るようになりました。
―それはまるで研究者のような視点ですね。考えたこともありませんでしたが、やっとリサイタル名に繋がりました! ところでそもそも、ヴァイオリンを始めたきっかけは何だったのでしょうか。
実は自分ではあまり覚えていないんです。母の話によると、『クインテット』というテレビ番組を見ていて、「ヴァイオリンをやりたい」と言い出したらしいです。家に子ども用の小さなヴァイオリンがあって、番組が始まるとそれを持ってきて遊んでいたとか。それがきっかけで近所の教室に通い始めました。
―京都フランス音楽アカデミーは今年で9回目の受講だそうですね。
10歳から師事している田辺良子先生が、以前からレジス・パスキエ先生に学ばれていました。中学2年生の時にアカデミーを紹介していただいて、田辺先生と一緒に受講したのが最初です。コロナ禍のオンライン開催も含めて、毎年受講しています。
―10代のころから長く学ばれている中で、パスキエ先生から受けた影響で特に大きいものは何でしょうか。
作曲家ごとのスタイルです。例えばフランス音楽と言っても、ラヴェルとプーランクでは全く違います。先生は「この作曲家はこういう美学を持っている」「このリズムには意味がある」といったことを、本当に細かく教えてくださいます。楽譜だけを見ていても分からないことばかりです。
―大本さんが感じる、パスキエ先生の演奏の魅力はどこにあるのでしょうか。
わたしは、先生が世界で一番音色の豊かなヴァイオリニストだと思っています。初めて受講した頃は、そのパワフルさに驚きました。先生が弾くと、譜面台の後ろに置いていた楽譜が音で落ちたことがあったんです(笑)。わたしだけにではなくて、他の生徒さんにも、みんなそうです。先生の熱いパワーが伝わってきます。でも年齢を重ねるにつれて、むしろ音色の豊かさや作品理解の深さに驚くようになりました。
―ご自身も音色への強いこだわりをお持ちですね。
もっとたくさんの音色が欲しいです。音色って、明るいとか暗いとか、それだけではないと思うんです。地球と火星と木星は全部違いますよね。大きさも違うし、性格も違う。音色もそういう違いだと思っています。だから作品ごとに必要な音色をもっと増やしたいんです。
―大本さんご自身の、演奏家としての課題はありますか。
ずっと右手ですね。子どもの頃から指摘されていました。力が入っているとか、もっと自然に動かした方がいいとか。でも正直、何を言われているのか分からなかったんです。ところが大学生の頃にゲームのコントローラーのスティックを見た時、突然理解できたんです。肩の関節って本来は全方向に動くのに、自分は一方向しか使っていなかった。「ああ、先生たちが言っていたのはこれだったのか」と。それから一年半ほど、自分の感覚と向き合いながら修正を続けています。
―今回のアカデミーでは、公開レッスンにも参加されました。実は初めてだったとのことですが、いかがでしたか?
受講生コンサートには2度、選んでいただいたことがあるのですが、公開レッスンは初めてでした。パスキエ先生から突然、ショーソンの《詩曲》を公開レッスンで弾くように言われたんです。本当に突然だったし、人前で弾いたことがない曲でしたし、怖かったです。必死に練習しました(笑)。ただ、あとから先生に「君ならうまく弾くだろうと思ってた」みたいなことを言われました。どういう意味だったのかは分からないんです。でも、長く通う中で、自分がどういう演奏をするか、ということ―情熱的な曲を、情熱的に演奏できるであろう人として覚えてくださっていたことが、嬉しかった。聴いてくださった皆さんがどうだったかは分からないですが、曲の細かいところまで見ていただけて、自分にとってはすごく大きな経験になりました。
―落ち着いて弾かれていたように見えたのですが、必死に練習した成果だったのですね。このような経験を踏まえたうえで、大本さんが目指す演奏家の姿、というのは?
昔は個性を出したいと思っていました。でも今は違います。作品の価値を上げる演奏をしたい。感動するかどうかは人それぞれです。だから感動させることに責任は持てません。でも作品に誠実であることには責任を持てると思うんです。作曲家ごとのスタイルをもっと深く知りたいですし、それを音で表現できるような演奏家になりたい。
―だからこそ作曲家ごとのスタイルを学び続けたいのですね。
そうですね。モーツァルトとベートーヴェンでも全然違いますし、フランス音楽の中でも作曲家によって考え方も音楽の作り方も違います。その違いをもっと知りたいですし、それを音で表現できるようになりたい。それが今の課題だと思っています。
―その先には留学も考えておられるのでしょうか。
はい。今、一番の目標はフランスで学ぶことです。アカデミーのスカラシップにも応募していますが、結果がどうなるかはまだ分かりません。でも、受賞の有無にかかわらず、できればフランスへ行きたいと思っています。
―やはりパスキエ先生のもとで学びたい、という思いが強いのでしょうか。
もちろん先生のところで学びたいですし、フランスという土地で、フランス音楽がどのような文化の中で育まれてきたのかも知りたいと思っています。今までずっと日本で勉強してきましたが、もっと作品のことを知りたいですし、もっと音色の幅も広げたい。そのために、まだまだ勉強したいことがたくさんあります。
この取材の後、大本さんにスカラシップ受賞の知らせが届きました。九度にわたり参加してきたアカデミーでの経験を胸に、新たな環境でどのような音楽を築いていくのでしょうか。フランスでの生活や、今後の活躍が楽しみでなりません。密度の濃いレッスン直後に、疲れを見せることもなく、日が落ちるまで取材にご協力いただき、ありがとうございました。留学後に再びアカデミーでお会いできるのを楽しみにしています。ありがとうございました。
公開レッスン写真撮影:中西紀郎