大阪音楽大学声楽科、同大学専攻科を修了後、母校の助手や大阪のプール学園高等学校の非常勤講師として務めるかたわら、関西各地で様々な賞を受賞していた大橋さん。仕事や自身の音楽活動で忙しいにも関わらず、2004年に開催された第15回京都フランス音楽アカデミー(以下アカデミー)に参加したのは「フランス歌曲に興味があり、仕事も春休みで丁度良い機会と思ったから」だと言う。
大学を卒業した直後から音楽講師の仕事に就いている。「人に教える事は好きです。教えると同時に自分に足りないものも分かります」。アカデミーでスカラシップを受賞した時には京都女子大でも講師として働いていたので、その年に渡仏する事は出来なかった。留学を決めたのは「人生の何かのきっかけになるかもしれないと思ったから」。翌年2005年に渡仏。「1年で何が出来る?」と、自問自答しながらの滞在だったという。パリでは画家を始め、何人もの学生に部屋を間貸ししていた初老の「ムッシュー」の家に間借り。ボジョレーの解禁日には手料理を振る舞い、週に一度はフランス語を教えてくれたと、懐かしむように話す。
パリに音楽留学する学生にとって、住んでいる部屋で音を出せるかどうかは大きな問題だ。大橋さんの場合は基本的に部屋で音を出すことが出来なかったので、練習は留学先のフランス高等音楽教育機関「パリ・エコール・ノルマル音楽院」でのみ。韓国人やスペイン人らと共に研鑽を積んだ。ドビュッシーやプーランク。フランスの空気に直に触れるにつれ、「この作曲家達がここで生きてきたのだと感動を覚え、歌詞に出てくる木々や花が想像しやすくなりました」。ドイツの森、フランスの森。「森」一つとってもそれぞれ違いがあり、そのニュアンスが歌に反映出来るようになったと言う。もちろん空気を感じるだけではなく、「パリに行くなら語学は必須」と、言い切る。「良いことを言われても意味が分からなければもったいない!」。学生には不可欠なVISAの手続きにしても、言葉の壁があるために苦労している人がいる。「時間がもったいない」。語学学校に通い、多国籍の友人らと交流を深めながら、「ムッシュー」のレッスンを受け続けた。「小さな子供が使うような音楽テキストを買って音楽用語を勉強したこともあります」と、当時を思い出して笑う。
一年という限られた時間を有効に使おうと、地道な努力を続けながら数多くのコンサートに足を運んだ。日本ではあまり観られないオペラやコンサートを聴き、「パリ・エコール・ノルマル」でレッスンを受けながら、日本での仕事の再開のめどもつけた。教壇に立つ仕事が決まった段階で帰国。「1年足らずの留学で何ができるかと言われると困るけど、『留学してみたかった』という知人は多い。今は留学するのに足踏みする傾向もあるようだけれど、何かのきっかけになる」と、期間に左右されない本場での勉強の意義を強調する。若い年代から留学する人も多いが、「30代で行ったからこそ落ち着いて勉強が出来た。語学学校でのレベル分けチェックや、多国籍の仲間が出来たことはとても良い経験。それに、パリに住んで初めて自分がメンタルな部分で島国の人間だなと思いました」。
帰国した後も大学や高校で教鞭をとりながら音楽活動を続けている。留学時に知り合ったクラリネット奏者の篠原猛浩さんと結婚。2013年12月には篠原さんらと共に、大阪市でプーランクの没後50年に寄せた記念コンサート「Fetes galantes艶やかなる宴」を開く。
アカデミーのスカラシップを受賞して留学してから8年、「音楽活動を続けようと思ったら、自分を高める為に仕事も必要」と言い切る。後進の指導に努めながらアンスティチュ・フランセ関西-大阪で、フランス語の詩の解釈を学ぶ講座に通い続けている。「これまではメロディーを優先に曲を選択していましたが、今では『この歌詞を歌いたい』と、歌詞の比重が高まっています」。常に勉強を怠らないその姿勢はきっと学生達にも伝わっているだろう。